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2011年12月 アーカイブ

こんにちは

こんにちは。はじめまして。


今日から電動スクーター関連のブログを始めました。宜しくお願いします。


専務小島謙治氏は、和三郎氏の女婿、資材部長の和男氏は甥(?)、技術部長の中村昌保氏も遠縁に当たる。


社長を始め、いずれも若手気鋭、昭和27、28年ごろの草レースの全盛期には、いつも昌和が上位を占め、この面においてまず全国に名を売った(名古屋、富士登山レースなどで第一位)。


こういう面の指導的役割をしたのは、中島という老練家で、その下に綱、大川らの実技家がいた。


最初の競走用のエンジンはOHC形で、当時としては最先端的のもの。

没落の原因

当時は、SV方式がまだ通用していたのだから、昌和のは出力の点でずばぬけていたことは明白です。


ところが、当時日本製のカム駆動用チェーンは耐久性に乏しく、とうていこれを商品化する自信がなく、SV方式に逆戻りしたものを量産した。


これがクルーザー250ccであり、出力の点は10PSを標傍しながら、実馬力は若干それを下回ったが、車体に完壁な緩衝方式を採用したので、乗りごこちは上々で、好評を博した。


期待以上にこの売行きが伸びたため、社長始め若手技術者たちは、安易な気分に陥り、これが何年かあとの没落の原因につながると反省されています。


この形の試乗会に参加、緩衝は確かによいが、オートバイのエンジンは非力である感はいなめなかったそうです。


現代にある、電動スクーターに置き換えると考えられない事ではありますが、これも歴史ですね。

批判

・・・・批判を聞いて、せめてOHV形くらいに転向、出力向上を策すべきだったと思います。


なお数年SVを惰性で続け、せっばつまってドイツのツインダップまがいの2サイクル単筒250cc形に切り替え、それに望みを託したが、時は既にヤマハやスズキのバイクが時流に乗った際であり、とうていそれに伍し得なかった。


これでも高速は、120km/h程度には達し、SV方式よりは数等よいのだが、浅間レースあたりでもとうていヤマハあたりと互角にはいかず、外形にも魅力は乏しかった。


ところで、昌和ではこれより前、125cc形も、50ccのモペットも出していた。


いずれも2サイクルだが、双方とも漫然と作ったものではなく、相当の特色が盛られていた。


こういった歴史があった上で、電動スクーターが誕生したのです。

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