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電動バイク スクーター アーカイブ

こんにちは

こんにちは。はじめまして。


今日から電動スクーター関連のブログを始めました。宜しくお願いします。


専務小島謙治氏は、和三郎氏の女婿、資材部長の和男氏は甥(?)、技術部長の中村昌保氏も遠縁に当たる。


社長を始め、いずれも若手気鋭、昭和27、28年ごろの草レースの全盛期には、いつも昌和が上位を占め、この面においてまず全国に名を売った(名古屋、富士登山レースなどで第一位)。


こういう面の指導的役割をしたのは、中島という老練家で、その下に綱、大川らの実技家がいた。


最初の競走用のエンジンはOHC形で、当時としては最先端的のもの。

没落の原因

当時は、SV方式がまだ通用していたのだから、昌和のは出力の点でずばぬけていたことは明白です。


ところが、当時日本製のカム駆動用チェーンは耐久性に乏しく、とうていこれを商品化する自信がなく、SV方式に逆戻りしたものを量産した。


これがクルーザー250ccであり、出力の点は10PSを標傍しながら、実馬力は若干それを下回ったが、車体に完壁な緩衝方式を採用したので、乗りごこちは上々で、好評を博した。


期待以上にこの売行きが伸びたため、社長始め若手技術者たちは、安易な気分に陥り、これが何年かあとの没落の原因につながると反省されています。


この形の試乗会に参加、緩衝は確かによいが、オートバイのエンジンは非力である感はいなめなかったそうです。


現代にある、電動スクーターに置き換えると考えられない事ではありますが、これも歴史ですね。

批判

・・・・批判を聞いて、せめてOHV形くらいに転向、出力向上を策すべきだったと思います。


なお数年SVを惰性で続け、せっばつまってドイツのツインダップまがいの2サイクル単筒250cc形に切り替え、それに望みを託したが、時は既にヤマハやスズキのバイクが時流に乗った際であり、とうていそれに伍し得なかった。


これでも高速は、120km/h程度には達し、SV方式よりは数等よいのだが、浅間レースあたりでもとうていヤマハあたりと互角にはいかず、外形にも魅力は乏しかった。


ところで、昌和ではこれより前、125cc形も、50ccのモペットも出していた。


いずれも2サイクルだが、双方とも漫然と作ったものではなく、相当の特色が盛られていた。


こういった歴史があった上で、電動スクーターが誕生したのです。

唯一のもの

125cc形の商品はライト・クルーザーでこのエンジンには吸入孔が独特で薄板弁(リーフ弁、またはリード弁)付き。


当時、この方式はモーターボート用2サイクルでは標準的だが、エンジンでは世界に前例皆無。


これが唯一のものです。


実はこの設計には、参画を求められ、リーフ弁は知人が主として担当した。


これの材質はベリリウム銅。


耐久性については念入りに検討したので苦情はっかなかったそうです。


現代のバイク、電動スクーターも試行錯誤して出来たものだと思いますので、色々と実験を繰り返したことでしょう。


非常な特長

当時、数万台中2~3の破損事故があったが、弁座の傷とごみのはさまりとが原因だった。


オートバイの運転上の特長はスローの性質がよいことで、トップギヤで15km/h程度の低速維持が容易だった。


これに乗り、名古屋東京間の走行(その間には箱根山越えがはさまる)をしたことがあり、ためしにギヤチェンジなしで、トップギヤに入れ放しで走り通し、なんら支障がなかった経験があります。


これは非常な特長であり、現実に老成した遵法運転者からは賞賛された。


このような歴史があって、電動スクーターは生まれたのですよね。

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